2026

Nov

04

効率は上がり、効果は下がった。──レス・ビネとウィル・デイヴィス『Go Big or Go Home』を、“大きく賭けるための設計”として読み直す

ABC Reading #02 アイキャッチ:“You don’t need more optimisation; you need to go broader.” — Les Binet & Will Davis、IPA『Go Big or Go Home』2026

ABC Reading #02
レス・ビネ、ウィル・デイヴィス / IPA『Go Big or Go Home』(2026)

月曜の朝の経営会議。スクリーンに映るダッシュボードは、どの指標も緑色をしている。獲得単価は下がり、ROIは前年を上回り、クリック率も悪くない。それなのに、売上と利益の折れ線だけが、ゆっくりと右に傾いている。

誰も嘘はついていない。数字はすべて正しい。ただ、正しい数字を積み上げた先に、事業の成長が見当たらない。この奇妙な光景に、多くのマーケターは見覚えがあるのではないだろうか。

2026年5月、英国の広告業協会IPAが一冊のレポートを公開した。著者は、効果研究の第一人者として知られるレス・ビネと、メディアエージェンシーMedialabのチーフ・データ・オフィサーであるウィル・デイヴィス。タイトルは『Go Big or Go Home』。2025年10月のIPA Effectivenessカンファレンスでの発表を下敷きにしたこの報告は、広告業界がいま「小さく考えすぎている」と、静かに、しかしはっきりと告げている。

効率は上がり、効果は下がった

出発点にあるのは、IPAの効果事例データベースから引かれた一組の数字だ。発表資料によれば、コロナ前と後を比べると、メディアROIの中央値は約4%上昇した。一方で、キャンペーンが生み出した増分利益の中央値は約11%減っている。

1円あたりの返りは良くなったのに、返ってくる総額は減った。ビネはこれを「効率のカルト」と呼ぶ。効率(efficiency)とは投じた量に対する比率であり、効果(effectiveness)とは事業にもたらされた絶対量である。両者はよく似た言葉だが、片方を磨くほど、もう片方が痩せていくことがある。

予算は、ROIの8倍効く

ビネの議論は、算数としては拍子抜けするほど単純だ。利益はROIに投下額を掛けたものである。ならば、どちらの変数がより大きく結果を左右しているのか。データベースを分析すると、増分利益のばらつきのうち約89%は予算の大きさで説明され、ROIで説明できるのは約11%にとどまったという。

理由も明快である。ROIはキャンペーン間でせいぜい数倍しか違わないが、予算は桁単位で違う。よく動く変数のほうが、結果を大きく動かす。ところがマーケター自身に尋ねると、予算・メディアプラン・クリエイティブの重要度はほぼ横並びに評価されている。そして予算の決め方は、財務モデルを使う企業が約4分の1、予算水準そのものをテストする企業は3割に満たず、「前年並みにインフレ分を上乗せ」といった慣習がいまだ根強い。

最も効く変数が、最も考えられていない。レポートの核心はここにある。

小さく考えることの、合理性と罠

では、なぜ私たちは小さく考えてしまうのか。それは、小さく考えることが局所的には合理的だからだ。ターゲットを細かく絞れば、反応率は上がる。媒体を絞れば、計測はきれいになる。発表資料には、細分化されたセグメントへの集中、45歳以上の軽視、狭いメディアミックスといった傾向が並び、その結論はこう要約されている。小さく考えると、効率は少し上がり、効果は大きく下がる。

ここで思い出したいのが、経済学者チャールズ・グッドハートの名を冠した法則である。人類学者マリリン・ストラザーンはそれを、「指標が目標になると、それは良い指標ではなくなる」と言い換えた。ROIは本来、判断を助ける温度計だった。それが目的になった瞬間、組織は温度計の針を動かしやすい行動、つまり「すでに買う気のある人に、安く届ける」行動へと吸い寄せられていく。

そこには組織の事情も絡んでいる。マーケティング部門は、自らが「コストセンター」ではなく「プロフィットセンター」であることを証明し続けなければならない。そのために短期ROIという分かりやすい通貨に頼る。だが短期ROIを追うほど施策は小さくなり、事業への寄与は目減りし、やがて「成長に効いていない」として予算が削られる。ダッシュボード上の効率スコアは高いまま、である。レポートが、マーケティングと財務・営業の協働や、経営の言葉で語るための商業的な訓練を処方箋に挙げているのは、この悪循環が数字の問題である以前に、言葉の問題だからだろう。

パフォーマンスの天井

パフォーマンス・マーケティングの専門家として出発したデイヴィスの言葉は、それゆえに重い。どれほど最適化しても、キャンペーンはいずれ頭打ちになる。獲得単価が上がり始めたら、それは効率が限界に達した合図だ、と彼は言う。

“You don't need more optimisation; you need to go broader.”

資料では、英国のワイン通販Laithwaitesの事例が紹介されている。12か月で見た売上の増分は270万ポンドだったが、36か月で見ると600万ポンドに達し、売上ベースのROIは1.6から3.7へと上がった。短い物差しで測れば凡庸に見える施策が、長い物差しでは主役になる。私たちが「効かない」と判断してきたものの何割かは、単に測る時間が短すぎただけなのかもしれない。

規模の経済という、見落とされた論点

レポートがもう一つ強調するのが、規模の経済だ。いまやメディア費はマーケティング予算の3〜4割にすぎず、制作費や人件費といった固定費を含めると、メディアROIがおよそ3を超えなければ採算が合わないと試算される。資料は、固定費を勘定に入れれば広告主の約半数が赤字である可能性すら示唆している。

素材を量産し、それぞれに薄くメディアを付ける。バイラルに期待して、予算の不足を創意で補おうとする。どちらも一見、賢いやり方に見える。だが資料が示す露出量の目安は冷徹で、統計的に有意な売上の伸びには数千万回、意味のあるシェアの変化には数億回規模の接触が要るという。優れたクリエイティブは必要条件だが、十分条件ではない。広く、長く、繰り返し届いて、はじめて記憶になる。

ABCの読み方

このレポートを「もっと予算を使え」という主張として読むのは、半分しか正しくない。私たちが読み取ったのは、「大きく賭けることを、設計の問題として扱え」という要請である。

ブランドは、人の頭の中でつくられる。そして頭の中の記憶は、狭く効率的な接触ではなく、広く繰り返される接触によってしか育たない。ダッシュボードに映るのは、測りやすいものだけだ。測りやすいものだけで意思決定を続けると、組織は気づかぬうちに、小さく正しい選択ばかりを積み上げていく。

一方で、大きく賭けることは、勘に頼ることと同義ではない。予算水準のテスト、地域を分けた実験、短期と長期を分けた計測。大きな仮説ほど、外れたときにそれが分かる形で置かなければならない。前回取り上げた反証可能性は、ここでも生きている。賭けを大きくすることと、賭けを検証可能にすることは、矛盾しない。むしろ前者は後者によってしか、経営の言葉として正当化できない。

  • 問うべきは「このROIは高いか」ではなく、「この投資は事業の絶対量をどれだけ動かすか」

  • 最適化が天井に当たったら、さらに磨くのではなく、届く範囲そのものを広げる

  • 大きな施策ほど、財務と同じ言葉で、検証の設計を先に置く

私たちが「たった一つの冴えたやり方」と言うとき、それは手元の数字をいちばん器用に磨く方法のことではない。問いの大きさを正しく選ぶことだ。ビネとデイヴィスが突きつけたのは、小さな問いに完璧に答え続けることの危うさだったのだと思う。

(ABC Magazine 編集部)

参考

  • IPA, "Go Big or Go Home" (Les Binet & Will Davis), 2026年5月27日公開

  • IPA News, "IPA report: Go Big or Go Home", 2026

  • Les Binet & Will Davis, "Go big or go home" 発表資料(IPA Effectiveness Conference 2025 の内容を再演したもの, Screenforce公開, 2025年12月)

  • The Media Leader, "'Small thinking' is killing advertising, warn Binet and Davis in latest IPA report", 2026

  • LBB Online, "IPA Report Warns Advertising Industry to 'Think Big' Again to Restore Effectiveness", 2026

  • Marilyn Strathern, "Improving ratings: audit in the British University system", European Review, 1997